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カルデラの貴婦人(その2)

さて、丹誠込めて育てられたホワイトアスパラガスを調理します。
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アスパラガスは、とにかく足が速い(鮮度が落ちるのが早い)のです。本州に住んでいて例えばタケノコの調理方法を知っていらっしゃる方ならお解りになると思います。
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ホワイトアスパラガスは、収穫後、なるべく早いうちに下処理をします。
先ず、アスパラの木口から全体の1/3程度まで皮を剥きます。 剥いた皮は捨てません。
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鍋に湯を沸かし、沸騰したところで、塩と剥いたアスパラの皮を投入します。 再び沸騰したら、アスパラを投入し、5〜6分経たら火を止め、冷えるまでそのまま置きます。
皮には、アスパラガスの旨味や香りが凝縮されているので、それを一緒に茹でる事によってアスパラ本体に還元するのです。
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今日は父の日。 ゆでたアスパラは、シンプルにマヨネーズで戴きましたが、本当は生でも食べる事が出来るのです。カルデラの貴婦人は、とても甘く、しかし、一方でワイルドな渋みもしっかりと主張しています。

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by marimuramario | 2009-06-21 22:22 | 食べ物

カルデラの貴婦人(その1)

札幌市の西方、車で約1時間ほどの所に赤井川と言う村があります。 赤井川村の村域の地形は、いわゆるカルデラ。 その昔、富士山級の火山が再噴火し盆地を形成したのです。その赤井川村に、日本でただ一カ所、農林水産省の有機認証を得たアスパラガス農家があります。 
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これが、その農場です。有機認証を受ける為には、農場の近隣に農薬を使う他の畑があってはならないのです。ですからこの農場は、赤井川の、とんでもない奥地にあります。
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これが「カルデラの貴婦人」と命名された有機無農薬栽培のホワイトアスパラガスです。 通常ホワイトアスパラガスは、畝を作って土を被せ、日の光に当てないように育てるのですが、この農場では、遮光性の覆いを被せて育てています。 因に、この遮光性の覆いを施すと言うユニークな栽培方法が、他所から飛散する農薬からホワイトアスパラガスを完璧に保護しているとして、有機認証を受けることが出来た理由の一つにもなっています。
しかし、この方法、実は、火山灰土で石ころだらけのこの土地では、通常の栽培方法が通用しなかった事から編み出された苦肉の策なのです。
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ホワイトアスパラガスのハウスの間に植えられているグリーンアスパラガスです。これも有機認証を受けています。
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珍しい紫色のアスパラガスです。有機無農薬栽培なので、畑は雑草が生い茂っています。 でもアスパラも負けていません。

一般に出回っているアスパラガスは、実は大量の農薬や除草剤を使っています。 北海道の新鮮なアスパラガスを売っていると言うインターネット販売の業者さんのサイトには、雑草一本生えていないフカフカの土の畑に生えているアスパラの写真が掲載されていますが、これは、農薬の成せる技です。

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収穫した直後のホワイトアスパラガスです。まるで真珠のような美しい輝きを放っています。
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農場主の滝本さんです。 これと言って特産品の無かった赤井川村で、二十年以上の年月をかけて「カルデラの貴婦人」を生み出しました。 一見、飄々とした人柄ですが、顔に深く刻まれた皺や、とてもゴツくて大きな手を見ると、彼が歩んで来た大変困難な道のりが忍ばれます。
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出荷を待つカルデラの貴婦人達です。 遠く九州沖縄にまで送られるそうです。 一方、常連の方々も居ます。あのミシェラン3つ星のカンテサンスやオテル・ド・ミクニ。帝国ホテルをはじめとする有名ホテル。全国の三越百貨店など、このアスパラを待ち望んでいる多くの人々が居ます。

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戴いて来たアスパラ達です。 一年に一度の恵みを、我が家ではどのように戴くか・・・・その2に続くです。
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by marimuramario | 2009-06-21 00:19 | 食べ物

札幌ラーメン

北海道の食を語る上で、札幌ラーメンは、やはり避けては通れない食べ物です。

さて、札幌ラーメンのルーツを辿って行くと大正時代に開店した一軒の食堂に辿り着きます。

大正11年。北海道帝國大学(現北海道大学)正門前に1軒の食堂が開店しました。このお店が後に札幌ラーメンのルーツとなる竹家食堂です。創業者の大久昌治さんは当初、単なる食堂のつもりで始めましたが、当時北大には、何百人という、現在の十数倍にものぼる中国本土や台湾からの留学生がいました。当時、全国の旧帝国大学には、政策的に大陸の優秀な子弟が集められていたのです。

そこで、竹家は、中国からの留学生の要望に応えるべく、小樽の料理屋で働いていた山東省出身の料理人、王文彩を迎え入れ、留学生相手に中国料理を出し始めました。中でもこの王文彩が作り出した 茹でた豚のもも肉とネギを細切りにして上にのせた塩味の肉絲湯麺というメニューが、留学生をはじめとして北海道大学の教官や学生に大変好評で、これが札幌ラーメンのルーツとなったのです。そしてその後、醤油味が加えられ、具に焼豚、メンマ、ネギが入るようになり、現在の札幌ラーメンの原型となったのです。竹家の成功を見て、続々とラーメンを出す店が出てきました。札幌の第一次ラーメンブームです。
しかし、太平洋戦争の開戦と共に、これらの店は姿を消しました。

 戦後、二条市場の近くに一軒のラーメン屋台が開店しました。「だるま軒」と言う屋台の創業者は、製麺の技術を持っており、その後続々と出店した屋台に麺を卸し、戦後の札幌ラーメンの礎となりました。

その後、昭和46年、すすきのにラーメン横町が出来て、この頃から札幌ラーメンは全国に知られるようになりました。また、そのころ三平と言う食堂で、日本初の味噌ラーメンが発売され、瞬く間に札幌のラーメン店に広がりました。 この時代のラーメン、つまり第2世代の札幌ラーメンに関しては、後日改めてUPしたいと思います。

さて、現在の札幌ラーメン業界は熾烈な競争を繰り広げています。一口に札幌ラーメンと言っても、現在の札幌ラーメンの味は多様で、多くの店が独自の味を競っている訳です。 そこで 私は、今の札幌ラーメンを大きく二つに分けています。先ずは「御馳走のラーメン」、そして「飽きないラーメン」です。
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「御馳走のラーメン」の先駆けは、上の写真。「ラーメンの駅」と言う店です。元々専業主婦だった創業者が、それまでの札幌ラーメンに飽き足らず、ラーメン作りの基本を独学で習得した上で独自の創意工夫をこらしたラーメンです。鶏ガラと豚骨とタマネギ等の野菜で取ったスープに熱々のラードを加えて出されるラーメンは、非常に濃厚で、それまでの札幌ラーメンとは一線を画す味でした。全国のラヲタ、つまりラーメン愛好家からは「神」と崇められている店主です。
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次も知る人ぞ知るラーメンの名店「純連」と「すみれ」のラーメンです。 実は、この二つの店の主人は兄弟で、しかも前述の「ラーメンの駅」創業者の息子さんです。 母親の味を引き継ぎつつ、独自の工夫を加えて札幌を代表するラーメン店に成長しました。 この3店舗の味は、市内でしのぎを削る多くの店の原点です。

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「御馳走のラーメン」の最後は、「ラーメンてつや」です。上の写真がそれです。 味は純連やすみれ同様ラードたっぷりのこってり系ですが、前述の2店との違いは、豚の背脂を加えて仕上げる事です。背脂とは豚ロースの脂身を細かく切ってお湯に入れて脂を抽出したもので、スープにコクと旨味を加えます。 比較的新しいチェーン店ですが非常にファンの多い店です。
ところで、何故私がこれらのラーメンを「御馳走のラーメン」と呼ぶのかという理由ですが、第3世代のラーメンの味は多様で、非常に濃厚で脂が多いと言うのが特徴です。手間ひまかけている分値段も高く、一杯800円〜900円程度です。確かに美味いのです。美味いのですが、さすがに毎日食べる事は出来ません。時々思い出しては、食べに行くようなラーメンです。

さて次は「飽きないラーメン」です。この系統のラーメンは、戦後の屋台から始まる第2世代の札幌ラーメンの味を受け継いだラーメンで、どちらかと言うと個人経営の古い食堂のラーメンに、その味が受け継がれてきました。 このラーメンの基本は塩味で、鶏ガラと豚骨と大量のタマネギを入れて煮出す少々灰色がかった色のスープが特徴です。大学進学の為に札幌に渡った私が、最初に食べたラーメンがこのタイプです。麺は中太縮れ麺の固茹でで、ラードの量は、そんなに多くありません。

そんな第2世代のラーメンを愛し、脱サラして開業した人物が居ます。今や日本全国を始め中国や香港、台湾にも進出を果たした「ラーメンさんぱち」の社長です。 彼は、典型的な第2世代のラーメンの味を守りつつ、それを武器にチェーン展開を果たしました。  ある時、私のクライアントでもあるその社長から「うちのラーメン。どうだべ?」と聞かれた時、私は、「特徴が無いのが特徴ですかね・・・」と、つい本音を言ってしまった後に慌てて「毎日食べても飽きない料理が、本当に美味しいものではないでしょうか。だから さんぱちラーメンは、毎日食べても飽きません」と言葉を継ぎ足しました(笑
「そうか、そうかも知れないな・・・」と社長。 でも、昨年の春から今年の春までの約1年間、さんぱちラーメンを中心に約300杯のラーメンを食べた私が言うのですから説得力があったようです。
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写真は、「ラーメンさんぱち」のラーメンです。向かって左側が「飽きない」塩ラーメン。右側は・・・・「飽きないラーメン」のメガサイズ(味噌味)です。 いくら「飽きない」と言っても普通盛りの3倍とあっては、さすがに飽きます(笑   さんぱちのラーメンは、札幌ラーメンの中でも比較的あっさりしています。注文してからラーメンが運ばれてくるまで平均的に3分程度。しかも他店に比べて値段が安いのです。 社長曰く「ラーメンは大衆の食べ物だから 、安くなきゃだめだよな!」 その通りです。因に国内外にある72店舗で、一日に1万5千杯を売り上げていると言うのですから驚きです。

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昨年の7月にopenした、「ラーメンさんぱち」のフッラッグシップです。恐らく日本最大のラーメン店舗です。・・・ってことは、世界最大?    実はこの店舗、私の設計です。
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店舗の内部です。天井にぶら下がっているのは「割り箸」のオブジェです。 この店のコンセプトは、フィンランドでラーメン屋を開店したいと思い立った現地のオーナーが、フィンランドの建築家にラーメン店のインテリアデザインを依頼したらどうなるか? ・・・・です(笑 さんぱちの社長のラッキーカラーは白。ですから店内は真っ白にしました。  縦横3列に並んだ照明器具は、実は中華鍋で出来ています。 これ,曼荼羅をデフォルメしています。

ラーメン屋にしてはおしゃれなインテリアと評判を呼び、若い女性客が増えました。
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店内に掲示している、「ラーメンさんぱち」のコンセプトボードです。日本語の説明と共に、英語、中国語、ハングルで書かれています。 因に翻訳は、当社超優秀社員のnaccoと その友人の方々に担当していただきました。
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by marimuramario | 2009-06-11 19:25 | B級グルメ

北国の春の恵み

20年間放ったらかしの我が家の庭では、次から次へと山菜が芽吹いてきます。ヤマウドとタラの芽が終わった後は、フキとワラビが食べごろを迎えます。
 
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ワラビです。 私の自宅がある手稲山の麓では、ワラビを見る事は まず無いのですが、何故か我が家の庭にはワラビが生えます。
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フキです。 フキは生える場所によって大きさの大小が決まるそうですが、これは多分土壌の問題だと思います。我が家の庭に生えるフキは、大きくても高さ50cm程度で、とても柔らかく香り高いのです。
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我が家の庭に唯一植えた植物が山椒です。柑橘類である山椒は、寒冷地の北海道ではなかなか根付きませんが、奇跡的に根付いてます。山椒の葉は我が家の必需品です。
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灰汁抜き等の下ごしらえが終わったワラビとフキです。傍らにあるのはホッケと言う魚の干物です。 今の季節、北海道の料理屋では、旬のニシンと山菜を炊き合わせた料理が出されますが、今日はホッケと山菜を合わせてみました。ホッケも春から初夏にかけてが旬なのです。で、何故生のホッケではなく、干物なのか?  それは、ホッケと言う魚が水分が多くて脂も多く、生のままでは煮た時に身崩れしてしまうからなのです。

さて、ホッケと山菜の炊き合わせは、先ずホッケの干物を強火で両面を炙るように焼いてから、熱湯をかけて表面の脂を取り除きます。 ホッケは非常に脂が多い魚なので、このような処理をします。この処理によって特有の生臭さも消えてしまいます。 
 次に、 鍋に日本酒を入れて煮切ったら出し汁を入れ、みりん、醤油を加えてホッケを入れ強火で煮ます。沸騰したところにワラビとフキを入れて、再び沸騰したら火を止めて煮含めます。北海道特有の「三平皿」に盛り 庭で穫れた山椒の葉で止めます。
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今日の夕餉です。メインは、津軽海峡産マグロの漬け丼です。それにホッケとワラビ、フキの炊き合わせ、もずく酢、海老のお吸い物です。自分の庭で穫れた山菜で作る一年に一度の料理を戴く・・・・なんだかとても豊かに気持ちになれる瞬間です。
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by marimuramario | 2009-06-06 17:35 | 食べ物

仁義なき焼き鳥対決     美唄VS室蘭

北海道のB級グルメ界では今、ホットな戦いが展開されています。その一つに焼き鳥があります。

B級グルメと言えば、ご当地ラーメンや、大阪と広島の仁義なきお好み焼対決とか、名古屋と大阪の牛筋ドテ焼き対決、さらには、どこだか忘れましたがソース焼きそば対決等を連想しますが、北海道では今、焼き鳥なんです。

先ずは、道央の美唄市の焼き鳥です。  かつて炭坑街として栄えた美唄市ですが、基幹産業であった石炭産業が途絶えて久しく、平成13年に、旧産炭地特別措置法がその期限を迎えて以降、街は急速に衰退して行きました。しかし、そのような状況の中、美唄の街が再び注目を集めたのは、「美唄焼き鳥」でした。

三重県桑名出身の中村豊次郎と言う資産家が集団を率いて美唄に入植したのは明治45年。しかし、街のど真ん中を流れる石狩川の氾濫に幾度も悩まされ、小作人達は疲弊して行きました。そんなとき、中村は、内地から取り寄せた鶏を、小作人一戸につき雄雌一羽ずつ貸与し、代償として翌年生まれる一番雛のうち、雄一羽・雌二羽を納めさせました。これを繰り返していけば農家ほぼ全戸に鶏が行き渡ると考えたのです。こうして得た卵や鶏肉は貧苦にあえぐ農民の滋養のもとになり、貴重な収入源となったのです。

以来、美唄の人々の間では、特別な日に、鶏飯や焼き鳥を作って祝うと言う風習が定着しました。

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これが、美唄の焼き鳥です。 美唄焼き鳥の特色は、一本の串に、鶏のパーツ・・・精肉、皮、肝、腸、内玉等が全て刺さっていることです。その串を炭火で一気に焼いて、塩を振りかけて供されます。胡椒等は一切振りません。
本来、美唄焼き鳥の素材は、いわゆる老廃鶏。 つまり卵を産まなくなった鶏です。でも、丁寧に下ごしらえをすることによって、老廃鶏特有の固さや臭いは無く、むしろ一般に売られている銘柄鶏よりも、コクと歯ごたえがあって、とても美味しいのです。一本80円前後で客に出される焼き鳥は、今では街の名物になっており、札幌市内にも、美唄方式の焼き鳥を出す店が増えています。 しかし、最近は、若いブロイラーを使う店も増えて、本当の美唄焼き鳥を見分けることが難しくなっています。 やはり本物の美唄焼き鳥を堪能するには、美唄の街へ行かなければなりませんね。


さて、次は室蘭焼き鳥です。 実は室蘭の焼き鳥は、「焼き鳥」ではなく「焼き豚」なのです。豚のバラ肉の比較的赤身が多い部分をぶつ切りにして、タマネギと交互に串に刺して炭火でじっくりと焼き、醤油味の甘ダレを絡めて、洋芥子を添えて供されます。

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これが、室蘭の「焼き鳥」です。 強火の遠火でじっくり焼かれた豚バラ肉は、ふっくらとしていてジューシーで、甘い醤油ダレに包まれた串に洋芥子を付けて口に運ぶと、「なんだ コレは!」と驚嘆するくらい旨いのです。

ところで、何故 室蘭の「焼き鳥」だけが豚肉なのでしょうか?   鉄の街である室蘭の歴史は、この地に溶鉱炉が置かれた明治時代〜大正時代にさかのぼります。当時、室蘭には、日本初の近代的な製鉄所として作られた北九州の官営八幡製鉄所から、技術指導の為に大勢の技術者がやってきました。室蘭に定着した北九州出身の方々は、豚肉を好んで食べたそうです。 一方で、伊達、室蘭、苫小牧、日高の太平洋側の比較的温暖なこの地域では、専ら軍靴の製造に必要な豚皮を生産する為に養豚が盛んに行われており、その副産物だった豚肉が豊富にあったと言う背景もあるようです。

北海道の太平洋側で最も栄えた街 室蘭では、飲食店の上客は専ら製鉄所関係者でした。その客の嗜好と、この地域で産する大量の豚肉が、室蘭焼き鳥の原型を作ったのではないかと言われています。

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ところで、上の画像は豚足の煮込みです。実はこれも室蘭の隠れた名物なのです。これは、大変に手間のかかる仕事なのです。 豚足の毛を丁寧に抜いてから茹で上げて水に晒し、さらに醤油味のタレの中で 超弱火でコトコト一晩煮込むのです。 出来上がったそれは、身が崩れる寸前のトロトロ状態。 やはり洋芥子を付けていただきます。 室蘭の食文化は、何やら大陸の匂いがします。 


美唄と室蘭の焼き鳥は、それぞれ地元の郵便局が地方送りを競っています。でも、やっぱり、地元で食べる焼き鳥は格別なのです。
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by marimuramario | 2009-06-04 17:35 | B級グルメ

松山農場【その2】

松山農場の樹液祭には初めて参加しましたが、大いに賑わっていました。この街に生まれて育った方々や、本州から美深に移住してきた方々が渾然一体となって、この祭りを盛り上げていました。 過去20数年に渡って、地方のいわゆる「まちづくり」に都市計画家と言う立場で携わってきた私ですが、全国でも有数の大都市である札幌に住む私は、こうした地方の街に赴く度に地域の濃密な人間関係を羨ましく思うのです。地方における産業、或は生産活動と言う裏付けがあってこそ、地方の暮らしが維持できる訳ですが、そう言った産業に何らかの形で関わる方々同士だからこそ、共同体的な意識が芽生えるのですね。

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樹液際に集まった町民の方々。背後に見えるのは、松山農場が経営するファームイン トントゥです。

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祭り会場に設けられたブース。写真は松山農場のブースです。白樺の樹液「森の雫」や特製の羊の焼きソーセージを売りました。向かって右側で座っているのが柳生さん。 真ん中にいるのが小娘3号(つまり私の3女)です。
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柳生さんは、どうも気が短いらしいのです。最初は一生懸命ソーセージを焼いていましたが、どこかへ行ってしまいました。代わりに小娘1号(つまり私の長女)が炉の前に陣取りソーセージを焼き始めました。因に長女は、神戸芦屋のアンリシャルパンティエと言う洋菓子屋で4年間修行をして北海道に戻ってきたパティシエです。お祭り好きです。すごい腕力です・・・・彼氏 いません(笑  その隣で弊社社員のnaccoも活躍してくれました。
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祭りが終わって、札幌へと帰る道すがら、子ギツネが道路にいました。 車を止めて外に出ましたが逃げようとはしません。 人慣れしているのか、人の怖さを知らないのか、今もって不明です。
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 松山農場の羊は、 乳用種のフライスランド種、肉用種のポールドドーセット種、皮革用種のロマノフ種の 3種類からなっています。ほとんどの個体は、それらの雑種です。雑種強制と云って、雑種にした方が丈夫な羊に育つらしいのです。松山農場の柳生さんから、農場産の羊肉を戴きました。腿の部分で3kgもある固まりです。 翌日早速解体して、一番柔らかな部位をジンギスカンにしました。豪華にブツ切りです。もも肉なのにとても柔かくて、あっという間に食べてしまいました。
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ジンギスカン用に切り分けた後に残ったスジ肉をカレーにしました。 我が家のカレーは、札幌のカレーの老舗、「ミルチ」のレシピがベースになってます。今でこそ、札幌を代表するカレー店に成長したミルチは、20数年前、店主自ら民家の車庫を改造して開業しました。当時、たまたまその店の向かいにある設計事務所で働いていた私は、インド放浪の旅を終えて帰ってきたばかりの店主から、本場のカレーの作り方を学びました。 

そのレシピに一工夫したのがこのカレー。実は生のパイナップルを加えています。 肉1kgに対して、パイナップル1/2。 パイナップルを細かく切って、焼いた肉と一緒に圧力鍋で煮込みます。 パイナップルにはタンパク質を分解する酵素が含まれており、どんなに固い肉でも柔らかくしてくれます。また、パイナップルの持つ風味と甘みが、カレーをより美味しくしてくれます。
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我が家のカレーです。ご飯は、本来ならばタイ米等の長粒種にしたい所ですが、今は滅多に手に入りません。なので、道産米を少し固めに炊きます。右上にあるのはラッシー。20年以上も続く我が家の定番カレーです。
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by marimuramario | 2009-06-03 19:25 | 食べ物

松山農場

北海道上川郡美深町・・・・と、言ってもピンとこないかもしれませんが、北海道の最北、稚内市の近くに、この街はあります。 かつて道北の林業の中心地であったこの街も、他の北海道の町村のように、基幹産業の衰退と共に寂れて行きました。

そんな美深町で、新たな産業を創造しようと立ち上がった一人の人物がいます。松山農場を営む柳生さんです。彼は、もともと美深の生まれですが、青春時代を小樽で過ごし、北海道大学農学部で酪農を学んだ後故郷に帰りました。 最初は牛を飼いましたがうまく行かず、何か話題性のある農業はないかと模索しているうちに、羊を飼って羊乳を生産することを思い立ちました。 彼が経営する松山農場は、日本で唯一の羊乳生産農場です。 生産された羊乳は、瓶詰めにされ、さらにヨーグルトやチーズやアイスクリーム等にに加工されています。しかし乳牛の搾乳のように搾乳機を使った搾乳が出来ず、数百頭の羊の搾乳は、全て手作業です。

しかし、これだけ努力しても、とても街の基幹産業として成立するのは難しいと思った柳生さんは、町内の至る所に生えている白樺の木に着目しました。 春先に穫れる白樺の樹液は、古くはアイヌの人々が春の恵みとして愛飲していました。この樹液は、ほんのりと甘く、多くの栄養素が含まれています。 因に、フィンランドで開発された甘味料のキシリトールは、白樺の樹液を精製したものです。

柳生さんは町内の方々に呼びかけて、白樺の樹液を採取し、それを商品化することを思い立ちました。 この商品も、日本で唯一、美深町だけで生産されています。

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柳生さんです。柳生さんが営むファームイン トントゥの食堂です。ファームインの夕食は、ジンギスカンです。写真は2月に美深に取材に行った際のものです。右側に映っているのは、宅の小僧(長男)です。親が言うのもなんですが、けっこうイケメンです(笑
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4月に開催された、松山農場主催の「樹液祭」参加の為に、小娘1号、3号及び弊社社員のnaccoを引き連れて美深に参りました。
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松山農場特製の白樺の樹液です。 ほんのり甘くて、さわやかな飲み物です。
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白樺から樹液を採取している所です。雪解け前のほんの一時期にだけしか採取できません。気温が高くなると、あっという間に腐ってしまうからです。
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毎年、樹液を採取する為、森に入る前に地元のアイヌ民族の方々に、カムイノミと言う儀式を執り行っていただきます。森に棲む精霊達に感謝の気持ちを込めつつ、森の恵みを戴く許しを請うのです。カムイノミは全てアイヌ語で行われます。その言葉や意味は、私達倭人には、全く理解できません。

因に、北海道と言う地名の「海」は、アイヌ語です。 江戸時代の末期、松浦武四郎と言う幕府の役人が、幕府の命を受けて、北海道の日本海側に位置する今の天塩町に渡り、地元のアイヌの案内で天塩川を丸木舟で登り美深町に到達しました。 案内人のアイヌの家に泊まった松浦が、「ここは、なんと言う所か?」と尋ねたところ、 アイヌの案内人は「Kai」と答えました。 その意味は、「私たちが生まれた所」と言う意味でした。 そこで松浦は、この土地は、北の「私たちの生まれた所」に至る道(つまり 天塩川)なんだなぁと発想し、北海道と名付けたのでした。
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この春に生まれた、松山農場の子羊です。小娘3号とnaccoがミルクを与えました。 母性本能が目覚めたのか、ミルクを与える彼女らの顔は、普段と全く違う表情でした(笑  因に二人とも独身でございます。
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搾乳の作業です。 全て手作業です。 搾乳機を使ったこともあったようですが、羊のそれは非常に繊細なので、搾乳機では無理だったようです。 数百頭の羊の搾乳作業は本当に大変です。 因に一日一頭あたり、僅か900cc程度しか搾乳できません。とても貴重なミルクです。
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羊乳から作られたチーズと羊のレバーの薫製です。 チーズは青カビのチーズとゴーダに似たチーズです。とても濃厚で、酒の肴にはもってこいです。
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by marimuramario | 2009-06-01 16:07 | 食べ物